わすれたくない

記憶容量が極端に少ない自分のための備忘録。腐女子注意。

ヴィクトル・ニキフォロフの愛について


9話まで観たところ「なんでヴィクトルって勇利のことをこんなに好きになったの?」という部分で引っ掛かり、その違和感を抱えながら生きていくのがしんどかったため、これまで垣間見えたヴィクトルの性格や二人の関係性をまとめました。
 ヴィクトル・ニキフォロフは、必死に息をしたがっただけの人間でした。



※これは11月、第9滑走「ロシア大会」までの情報からなる考察となります。
 また、個人の一意見となりますので、ご了承いただけますようお願いいたします。
※本記事では腐女子的観点をできる限り抑えておりますが、この工場ではBLを生産しております。




ユーリ!!! on ICEとは?



タイトルを「ヴィクトル・ニキフォロフの愛について」としたのは、この作品のテーマ自体が「愛」だからだ。GPに向けた勇利の目標が「愛」であっただけではなく、登場人物それぞれに「愛の形」が用意され、それは言葉に、滑りに、また音楽にと、丁寧に表現されている。
しかし、ヴィクトルに限っては、明確な描写がされていない。


たとえば、アガペーという「万人に向けた無償の愛」をいま表現しようとしているのが、ユーリ・プリセツキー。
「一人の女性への深く重い愛」を表現したのが、ギオルギー・ポポヴィッチ。
「自国への愛」で滑ったのが、ピチット・チュラノン。
「離れなければ証明できない愛」を表現したのが、ミケーレ・クリスピーノ。
 おそらく性愛を体現しているクリストフ・ジャコメッティ。友愛をイメージしたのだろうジ・グァンホン。音楽への愛を滑ったレオ・デ・ラ・イグレシア。意図して愛を描かれなかったイ・スンギル。


 ひとりひとり、意図をもって「種類の異なる愛」が描写されている。勇利が「名前のない愛」「名前のない愛」を掲げたように他の選手にもそれぞれ「愛の形」が表現され、それが勇利とヴィクトルの関係性に絡んで展開していく、それがこのグランプリシリーズの描き方なのだろう。


 そんな作品だからこそ、主要キャラクターであるヴィクトルが持つ愛の描写に決定的なものがないという現状には非常に強い違和感を覚える。それだけでなく、彼の言動は一話から謎ばかりだ。




勇利の幼いころからの夢、人生の目標である、リビング・レジェンド「ヴィクトルニキフォロフ」との共演を果たした、勝生勇利23歳のGPF。しかしメンタルの弱さが仇となり惨敗、結果は最下位。勇利はその後の国内戦でも負けに負け、スケーターとしての進退に悩んでいた。
しかしそんな彼のもとへ突如ヴィクトルニキフォロフが現れ、「勇利に金メダルを取らせる」と宣言するのだった。


いま、二人で挑む最後のGPFが幕を上げる。




一話のあらすじはこんな感じである。
すごく不自然だ。
というか唐突だ。
それもこれも、勇利の目線で進んでいく物語というのに加え、ヴィクトルがあまりにも自分のことを語らないからである。
そもそも四分の三が放送終了した9話にして「なぜ勇利に金メダルを取らせたいと思ったのか」がヴィクトルの口から語られていない。今後彼の口から詳細が語られるだろうが(そうであってほしいが)、一度「ヴィクトル・ニキフォロフ」の人物像について、また彼の「愛」について、自分のために整理をしてみたいと思う。




ヴィクトルの人物像について


 ヴィクトル・ニキフォロフのモノローグは、5話、勇利の演技中のみである。
 つまりは、彼の心情について触れられているのは「彼自身の言葉」「他キャラクターの台詞」のみということになるが、実際問題ヴィクトルの台詞は勇利へ向けた勇利についての評価か、日本文化や食事に向ける感想、スケートに関するもの、そればかりだ。あんなに台詞の量があるのに、彼自身の心情をくみ取らせるようなものは見事に避けて発言している。


そんな中で彼の人間性を垣間見られるのは、他キャラクターの台詞によるところが大きい。


ヴィクトル・ニキフォロフは、博愛主義でもなければ聖人でもない。世界を自分中心に回す能力を持って生まれたというだけの男なのである。



世界一モテる男?



 ミナコ先生や西郡に「世界一モテる男」と称されるヴィクトル。ヴィクトルの容姿にさして興味のないだろう二人の発言なので、これは二人の主観ではなく、おそらくメディアなどで扱われる彼の二つ名―――のようなものなのだろう。
 甘い容姿に甘い声、そして疑いようもないGPF五連覇という実力。現実に存在したらそりゃあ「スケートはよく知らないけどヴィクトルは愛してるわ」というファンも大量にいるだろう。ファンだけではなく、ユリオをはじめとするリンクメイトにも慕われている。昔から世話になっているのであろうヤコフにも、「ハグすれば必ず助けてくれる」ほどにかわいがられているのだ。
 世界一モテる男の称号を貰って当然の性質だろう。


 おそらく彼の性格自体は、「見たまま」だ。強引なのに、嫌な気分にさせない。おそらく生来の才能だろう、相手の懐に入り込むのが非常に上手い。基本的には誰にでも快活、ファンサービスの質も高い。27歳という年齢とは思えない天真爛漫な振る舞いは非常にあどけなくて隙があり、愛らしい。
スケートも英語もわからない勝生家にすら一瞬にして馴染んだあたり、コミュニケーション能力も半端でなく高いのだろう。これは、今のところ視聴者が最も見慣れたヴィクトルの姿だ。


 しかしながら、彼から他人へ向ける感情はどうだろうか?



他人の優先順位が低い


 たとえば彼の古くからのリンクメイトだろうユリオからは、「約束したことを忘れる」ことを指摘されている。
 シニアに上がったら振付をしてくれるという約束を破られたユリオは、勇利のもとへ飛んでしまったヴィクトルをわざわざ追いかけた。激怒するユリオを前に、彼は「俺が約束を忘れるなんて、いつものことだろう?」と発言している。まったく悪びれることもなく、「これがいつも通りじゃないか、なにを怒っているんだ?」と言わんばかりの態度である。


ユリオがその発言に言及していないあたり、12歳も年下のユリオとの約束ですら普段からあまり守っておらず、半分諦められているのではないか?と予想される。彼は、他人の優先順位が低いのだろう。
ほかにも、他人を顧みずに己の好奇心の赴くままに突き進むさまは、


・ヤコフを無理やり振り切って、勇利本人にも知らせずに日本へ来たこと
・朝まで飲み明かして、勇利とユリオが待つリンクへ向かうのが遅れたこと
・勇利へのインタビューを遮って「早く火鍋食べに行こうよ~」


 などでわかりやすく描写されている。
結局のところ、彼の世界は自分中心に回っているのだ。
基本的に人当たりが良いうえに、勇利に関しては献身的な部分が目立つのでわかりにくくはある。しかし、中国大会FP直前に「離れずにそばにいてよ!」と言われ、コーチとしての在り方を真剣に考えるようになるまでは、彼は勇利に対してだって自分がやりたいことをしていたように見える。


 また、JJへの態度がひどくそっけないのも気がかりだ。あれさえなければヴィクトルの愛の形は「博愛」なのだと思っていただろう。しかし、実際にはヴィクトルも人を嫌う。目も合わせず話も聞かない、そんな子供のような嫌い方をする。
 あれについては、単純にうるさかったのではないかと思うが。
 ヴィクトルは勇利の集中を削がれるのが嫌いだ。クリスを黙らせ、取材陣から遠ざけ、できるだけ彼の居場所を守ってきた。JJのような「人を貶めるタイプの自信家(意識的無意識的関わらず)」を勇利に近付けさせたくなかったのではないかと推測している。


 ともかく、そういう性格って人としてどうなのよ、と思わなくもない。それはおそらく、彼のことを愛して、そして去っていったのであろう過去の女性たちも同じように思っていたのではなかろうか。



「早く別れなよ」「長く続かないのにかわいそう」


ヴィクトルは、これまで氷を降りてまで守るべきものを持たなかった。本気でひとりの人間と向かい合ったことがなかったのだ。


 愛を語るのに逃れられない女性遍歴だが、彼については一言だけそれが言及されている。それは、中国大会開始前の、女性選手との会話の中で漏れ聞こえる会話だ。勇利がクリスと会話している裏で、絞られた音声だがこう話をしている。


「ほんとにコーチやってるんだ」
「早く別れなよー」
「長く続かないのにかわいそう」


 なにそれは……(困惑)
 早く別れなよ、という表現方法から、「二人が付き合っていると思われている」という事実を否定する材料が私には見つけられない。勇利を追いかけていったヴィクトルが一年間彼の生家で暮らしているという情報まですっぱ抜かれているうえに、温泉onICEからこっち、ふたりがくっつくたびにカメラで激写され、メディアに使われているのだろうから、想像力の働く人物ならそう邪推するだろう。加えて、勇利のプログラムのテーマは「ヴィクトルとの(名前のない)愛」だと生放送で公言されている。
 インタビューにおいて「ヴィクトルとの愛の強さは今どれくらい?」とかいう結婚会見のような質問が飛ばされたのも、世間的にそういうことになっているから―――ではないのだろうか。


 だから、リンクメイトなのであろう彼女たちのこの発言は、ヴィクトルの交際歴を差して言っているのだ。これまでの恋人たちと勇利を同列に並べての発言なのである。


 この描写を認識する前は、27歳のリビングレジェンドが彼女も妻もいない理由がないと思っていた。むしろ、サンクトペテルブルクに残してきているという線を頭に入れて視聴していたくらいだ。しかし、彼の交際は絶対に長続きしない。その理由は、中国大会FP直前の駐車場のシーン、


「泣かれるとどうしたらいいのかわからないんだ……、キスでもすればいいのかい?」

に集約されている。勇利は光の速さで「違うよ!」と否定したが、きっと交際相手にはこの手が効いた経験があるのだろう。泣かせてしまった、面倒だな、キスでもすればいいのか。という思考回路だ。
こういった考察の場で女性的な観点に寄ってしまうのは申し訳ないが、まあ……それが透けていたら長続きしないよね……と、多くの視聴者には賛同してもらえるのではないだろうか。
 彼が交際相手を泣かせた理由はなんであれ、「男の、しかも恋人でない勇利に対して」すら「キスでもしたらいいのか」という結論を導き出してしまう。向かい合った相手の心に寄り添うことを根底からぶん投げている。恋人にはなれても、一生添い遂げるとなると厳しい。


 それは彼が自分のことを一番に考えているからだ。これはおそらく、「スケートが一番」と同義なのだと思う。クリスに「氷を降りて守るべきものができるなんて君らしくない」と言われていたことがその恋愛遍歴をずばりと表現しているのだろう。
「スケートを愛するあなたが好き」と思う女性だって探せば間違いなくいるのだが、今のところ彼はそういう女性を愛したことはないのだろう。


 そういう意味では、彼も「本気で人間と向かい合ったことがない」人間のひとりだ。愛を与えられることにばかり慣れて、愛を与えることに慣れていない。人と関わることから逃げてきたという路線の勇利と方向性は違えど、現状は同じ、という気さえする。


 また、ギオルギーの迫真の魔女、それから王子。これは「ヴィクトルにないもの」を表したプログラムだというヤコフの発言もある。
ギオルギーのプログラムは「一人の女性への愛(執着)」を表したものだと断定していいだろう。個人的にはどうも“独りよがりな愛”に見えてしまうのだが、プログラムとしてのテーマは“失恋”“恋人への愛”だ。
 ヴィクトルには、他人をここまで想う情熱が欠けている。我を忘れるほどの情熱が欠けている。そういった意味の対比ととらえていいのではないかと思う。


将来的にこの部分に変化が起こったとして、我々はどのように確信すればいいのか。それは、ヤコフの発言を追うのが今のところ分かりやすいだろうか。
「自分が一番だと思っている男にコーチは務まらん」と発言していたヤコフが、彼のコーチぶりを「コーチごっこ」と評していた。今後、GPFでのコーチングをヤコフがどう評価するか。それによって、ヴィクトルが自分になかった情熱を勇利との関わりの中で手に入れられたのかどうかがわかる、一つの指針となるだろう。



ヴィクトルの愛の行方


そんなヴィクトルがなぜ、勇利を守ろうと思ったのだろうか。その理由は、ヴィクトルと勇利の共通点にある。スケートへの情熱を失いかけて半死半生だった二人は、お互いの中にスケートそのものを見たのである。


勇利に目を付けた理由は?


ヴィクトルのキーパーソンが「勝生勇利でなければならなかった」理由とはなんだろうか?
 「勇利の体中から音楽を奏でるスケーティングに惹かれた、俺にしか開花させられないと直感したから来た」という旨の発言はあったものの、聖人でもなんでもない彼が、成績の落ち込んだ日本人選手に救いの手を差し伸べてやる理由はない。
未来への伸びしろ、イマジネーションというだけなら、それこそ15歳、将来性は無限大、そんなユリオを相手にするのが適任なように思える。


 前提として、勇利のもとへ飛ぶ前のヴィクトルは、GPF五連覇を達成したのちのインタビュー「来季の目標はなんですか?」という記者の問いに、考え込むようなそぶりと沈黙で返している。何かしらは答えたのだろうが、そこは描写されていない。つまりは、来季になにをすればいいのか悩んでいるという事実が重要なのである。
 さらに、温泉onICE前のユリオの台詞でも「観客をどう驚かせたらいいのか相当悩んでいるようだった」と言及されている。
 彼は、自分の滑りに何かしらの壁を見たのだろう。そして、それを突き破るための何かを探していた。新たなステージへと押し上げてくれるなにかを探して、エロスとアガペーというプログラムを作りながらもずっと悩んでいた。もしかしたら実況者が言っていたように、本当に「進退込みで」悩み続けていたのかもしれない。


 そんな中で出会ったのが、勇利の「離れずにそばにいて」だった。

二人が初めて同じリンクで滑ることとなるGPFにおいて、勇利は低スコアで惨敗。その時にヴィクトルが勇利のスケーティングを見ていたとしても、彼を日本へ突き動かすまでの要素はなかったわけだ。
つまり、彼が勇利のことを目に留め、興味を持ったのは、「離れずにそばにいて」をコピーした動画を目に留めたところから始まる。「雷のようなイマジネーションを感じて」日本へ発った。ヴィクトルの発言と思われる箇所はこれのみである。


何がヴィクトルの琴線に触れたのだろう。


おそらく、ミナコが「こういうの(離れずにそばにいて)は、もっと若くてうぶな男が演るからぐっとくるのよ」と評した、これが関わってきているのだと思う。
もとより彼女はヴィクトルのファンではない。こういう人をも驚かすプログラムを、彼は作りたかったのだろう。
あの「離れずにそばにいて」は、ヴィクトルのFPである。勇利はそれを、優子ちゃんに見てほしくて練習した。告白さえ不発に終わったものの、あれはただひとりの女の子に捧げた演技である。ほとんどプログラムコンポーネンツだけでGPFへ行ったという勇利の表現力は、ヴィクトルの丸写しではない。見る者が見れば、たとえばスケートのリビングレジェンドが見れば、「ヴィクトルが表現したくてもしきれなかったものを持っている」とでも思ったのではないか?


勇利がヴィクトルのプログラムを滑ることで、きっとみんなを驚かせることができる。ヴィクトルができないことが、きっとできる気がする。わからなくなりかけていたスケートの楽しさを、思い出させてくれるかもしれない。


雷のような―――とわざわざ付け足すくらいだ、おそらく「言語化できるわけないじゃないか、フィーリングなんだから!」の範疇なのだろう。ビビッと感じた。だから来た。自分のために。
この時点では、これで十分だ。



勇利と育む愛の形とは?


 そんなヴィクトルは、一方的に「金メダルを取らせる」と宣言し、押しかけるように勝生家に滞在し、コーチ料までしっかり請求する気だという。断られることなんて微塵も考えていない。「ヴィクトルが勇利に金メダルを取らせたいから取らせる」のだ。ここには勇利の環境を慮る素振りすら見えない。勇利がヴィクトルに好意的だから成り立っている。つまりは、それまでヴィクトルが築いてきた人間関係と同じだ。


 しかし、そんな関係性は変わっていく。


 勇利とヴィクトルの距離感は言わずとも知れたものである。温泉onICEから始まる、ハグ。足へのキス。唇へのキス(暫定)。シャッターチャンスに事欠かない接触が目立つ二人だが、その一方で、精神的なつながりはどこから来るのだろう。
勇利がヴィクトルに心を許していく流れは物語の描写の中で理解できる。憧れの神様が自分を選んでくれた。もう1シーズン、神様がくれた奇跡の時間。それにはヴィクトルの存在が必要不可欠で、もともとの好意もあいまり、自然と好感度は上がっていくだろう。


それなら、ヴィクトルから勇利への愛情はどこから来るのか?


ここについては、正直、考察できる材料がほとんどない。いかんせん心理描写がない上に、シーズンが明けてからは会話に多くの尺を割いていないからだ。「いつの間にか婚約している……どういうことなの……」という、この……何?スピード婚?勇利視点を追ったってこんな感じなのに、ヴィクトルの目線で追いかけようと思ったら行間を読みすぎることしか手立てがない。
勇利は特別魅力的な性格をしているわけでも、突き抜けて素晴らしい容姿をしているわけでもない。唇へのキスを送り、足へのキスを送り、プロポーズを受ける、勇利をそんな「特別」な存在にしようとしているヴィクトルの心の流れを決定的な証拠と共に説明することは、今のところできない。
もちろんこの作品の特徴を考慮すれば、伏線があり、伏線回収があるはずで、「人を好きになるのに理由なんかいらない」という理論を振りかざすのはまだ尚早だ。それは、最終回までフォローがなかった場合まで取っておくべきだ。


 なので、ここから先は(も)、彼らの台詞や性格を考慮した一個人としての意見を述べる。


 ヴィクトルは、勇利を介することで、一度わからなくなりかけた「スケートの楽しさ」を再認識している。
 自分が実力を見込んだ男が、自分がかけた「子豚ちゃんを王子様に変える魔法」によって観客を驚かせていく。勇利が自分を好きになって堂々と戦える、その後押しをしたという確かな自覚がある。そして、勇利がヴィクトルの存在を何よりも必要としている事実はヴィクトルもよく知っている。そんな彼が氷上で見せる演技は、ヴィクトルが作り上げたものでもあるのだ。
彼らは、コーチと選手として、ふたりでひとつの作品を作り上げている。
だから、勇利の一回のジャンプの成功が、飛び上がってしまうほどに嬉しい。


 結局のところこの師弟は、「続けるかやめるか」を悩んでいた者同士なのだ。これまでの人生を埋めてきたスケートを失いかけ、魂を半分失っていた二人が出会って、ひとつのプログラムを作り上げていく。だから二人には絆が生まれる。お互いこそが、お互いをリンクにつなぎとめる存在だからだ。


 だから、勇利が引退しなければいいのになあ、と切願する。
 ヴィクトルは、これから先に勇利のいなくなった氷の上で、これまで以上に心動かし動かされるような体験ができるビジョンを持てていないのだろう。失ったらまた元通り。離れていても繋がっているだなんてことは現実には不可能なのだと、ロシア大会で思い知ってしまったから。


 初めて繋ぎ止めたいと思った人、勇利へ、あと二回、GPFという場所で何をしてやれるのか。ユーリ!!!on ICEが描くヴィクトル・ニキフォロフの愛は、そこに集約される。勇利と同じ「名前のない愛」を表現するのか、もしくはこれまで通りに「勇利への愛」を表現するのか、それは「コーチとして何ができるのか考えていた」その内容そのものだと思われる。



ヴィクトル・ニキフォロフの愛について


ユーリ!!!on ICEにおけるヴィクトル・ニキフォロフは、神様が人間に成長していく役割を持っているのだと思う。
スケートに愛された神様。その愛を失いそうになった彼が、初めて自分からスケートに手を伸ばした。積み上げてきたものを壊して、みんなに叱られて、呆れられながらも、ほしいものに手を伸ばした。勇利に魔法をかけたつもりが、彼もまた、あたたかな体温を持つ人間へと変わる魔法をかけられていた。
ヴィクトルもいま、勇利と一緒に「名前のない愛」を手にして、それと一緒に成長している最中だ。
彼が今後、リンクを降りることになるのか、リンクへ戻ることとなるのか、それはまだわからない。しかし、愛を知って強くなったヴィクトルが再び氷の上に返り咲き、世界中を驚かせる、きっと今、そんな種が蒔かれている最中なのではないか。




貞子VS伽耶子


映画『貞子vs伽椰子』予告編



観る前「妖怪大戦争かな」
観た後「妖怪大戦争だった」



以下、ネタバレあります。







わ……私はいったい何をみせられていたのだ……!?


映画館の上映中に大声を出してしまった映画はこれが初めてでした。いやー、これは声出ちゃうよー!むしろびっくりしない人はいないと思うなあー!




呪いのビデオも呪いの家も都市伝説となった現代、女子大学生のユウリとナツミは偶然呪いのビデオを再生してしまう。命のリミットは2日間。
同時期、父親の転勤により呪いの家の向かいに越してきた女子高生・スズカは、呪いの家に立ち入って失踪した少年と接触を持ったことにより、伽椰子に呼ばれることとなる。
若き最強霊媒師ケイゾウが唱える彼女らを救う秘策は、「バケモノにはバケモノをぶつける」という手段だった。しかしその目論見ははずれ、一体の怨霊となった貞子と伽椰子は全世界へとはばたくのであった。



いつかの受験勉強中、長文を三行にまとめる項目についてはいかんなく?才能を?発揮してきた?ことでお馴染みの私ですが、もうなんか正直その才能がなかったとしても三行以上なにも言える気がしない、自分が何を見せられどの視点でものを語ればいいのかがわからない、よって孔明みたいな顔で「はわわ・・・」と言っておくしかない


ホラー映画の感想を述べる場合、真っ先に「怖かった?」と問われるのですが、これに関しては「そういう問題じゃなかった」としか言えない
みなさん絶賛してる音響もぞわぞわしましたし、お馴染みの「今!今怖いことが起こりますよ!」という雰囲気作りもしっかりされており、ビクビクしながら観ていました。でも終盤の展開でそういうの全部どうでもよくなるっていうか怖がってる場合じゃなくなるっていうか、
「姿は見えない、けれど確実に自分に対する殺意を感じる恐怖演出」→「バケモンバトル」
という構成になっているために、最終的な感想として「怖いとか怖くないとかそういう問題じゃない」となるのではないかと思いました。


タイトルでまずいろいろと思うことがあると思います。この「VS」はバットマンVSスーパーマンの「VS」と同じ意味でした。白石監督は「アベンジャーズの幽霊版」と仰っていたけど、マーベルじゃなくてDCじゃないかな。いや、全然違うんだけど。VSと言いつつも~~~??最終的には~~~~????系ですねこれね



「VS」というだけあって、怨霊二体の殴り合いは熱く胸震えました。呪いの家で呪いのビデオを再生するという展開がすでに両作品ファンとしては胸熱展開、さらに前門の貞子、後門の伽椰子、両者見合って見合ってはっけよいのこった、おっと伽椰子の関、貞子の海を投げ飛ばしました、しかし貞子の海は髪を伸ばして伽椰子の関を足止めしているー!獲物、逃げる逃げる!俊雄乱入アタックチャンスかー!?いかがでしょう解説の孔明さん!
孔明「井戸です」


 もうこんなんだよ!さっぱりわかんねーよ!でも本当にこのシーンは熱かった!私この5分くらいの映像のために1300円払ったよ!正直「VS」といっても殺した人数のスコアマッチかと思っていたんですけど、こんな肉弾戦が繰り広げられるなんて!お値段以上だよ~~!!



 現場は大興奮なわけですが、最終的にはすがすがしいまでに人間滅亡をぷんぷんにおわせるEDでしたね。



 これはホラー映画によくある「なにかしらが解決する」EDの裏をついたのかな、と思いましたが、よく考えなくてもそもそも和ホラー映画の多くは「悪霊圧勝」EDなんでしょうね。ホラー映画ではっきりした人間の勝利がオチになるのは洋画のサイコホラーなどに多い気がします。呪怨は町全滅ED、リングは病原菌蔓延EDだし、着信アリなんかでも最終的には柴咲コウにっこりEDのあの絶望感。残穢も全滅ED。零は零という名の百合映画だったので省きたい。
 私は自然と、これまでの「静かな狂気」をにおわせたオチを求めていたのだと思います。
 なので、奇奇怪怪魑魅魍魎跳梁跋扈、画面、音声の情報過多、あの状態から聖飢魔Ⅱのエンディングテーマが流れた瞬間「えーー!」と叫んでしまったのはもう仕方がなかったということにしてください!恥ずかしい!申し訳なーい!
 2000年代のブラクラってああいう感じだったなあ、私が小学生のころはウォーリーを探さないでが流行っていたなあ、パソコンの時間に勝手にそれを検索して大声スピーカー再生かまして先生がたに烈火のごとく怒られた奴がいたものだなあ、そんな幼いころの思い出が走馬灯のように駆け巡る中画面にはテロップが駆け巡っていました。催眠術だとか超スピードだとかそんなチャチなもんじゃあねえ、もっと恐ろしいものの片鱗を味わったぜ



 今回の呪いのビデオは井戸でなく、どこかの家のドアがゆーっくり開いてそこから貞子が登場するというものでしたね。井戸じゃないんだ~と疑問なのですが、これはあれかな、最終的なさだかや子のバランスを取っているのかな。全体的なバランスは貞子だけど彼女のホームグランドである井戸を映さずよたよた歩いて伽椰子感を演出するよ、みたいな……?
 でも最初は死のタイムリミットまで一週間だった設定が2日間になっていたり、呪いのビデオ内の髪をとかす映像などがなくなってシンプルにまとまっていたり、もうビデオじゃなくてネット上のストレージでも構わなくなっていたり、「あまり過去の私と今の私を比べないで」という貞子さんの女心だった可能性もありますね。私だって現代に適応しているのよ、ひと昔前のアンチウイルスソフトじゃ私をバスターすることはできないのよ!
 伽椰子さんサイドもどうやら呪いの家が引っ越しされていたようで、CMの違和感が解決しました。伽椰子さんってほかの家にも出張するのかあと思っていた。そういえば終わりの始まりであの家潰されてましたもんね。呪怨THEファイナルの家なのかな?



 そして登場人物ですが、数は多かったですね。
やはり女性客的に気になるのは「バケモンにはバケモンをぶつけんだよ」でお馴染みのケイゾウさん。若き最強霊媒師だそうです。というか作中で彼についてほとんど触れられていない!視点となる女の子たちが彼自身に興味ないもんだから何も情報収集しないんですよ!そんな探索能力で、TRPGだったら死んでるぞ!と思ってましたがTRPGじゃなくても死んだねドンマイ
 ケイゾウさん、女の子たちにはとことん優しくないんですが、相棒だという幼女ちゃん、彼女のことは大切に守っていた様子でしたね。特異な能力ゆえのはじきもの同士繋がりあうものがあったのではないかと思わせる気になる関係性の2人でしたが、そんなエピソードは一切登場しないんだ
 寺生まれのKさんだと思って安心して観ていたので、彼が足をへし折られた時点での緊張感はMAXでした。


 女の子たちは悲鳴要員でしたね。大事ですね。さだかやが殴り合っている最中にキャーキャー悲鳴を上げている様子は、プロレスのベルト争奪戦のリング上に突如放り投げられた観戦者感すらあって最高にかわいそうでした。喉痛いでしょ~はちみつゆず飲みな~



 最終的に貞子と伽椰子の封印は失敗。中途半端に封印をかけた井戸から解き放たれしさだかや子は一体となり、ナツミによってネット上に広まった呪いの動画を媒介にして全世界デビューを果たすのであった。



 なにをしたって独りぼっちの女性怨霊どうし、通じ合うものがあったのかもしれませんね。あなたはどこから?私は井戸から。私は屋根裏から。ピシガシグッグッ
 嫌いなもので繋がった女同士の友情は変な強さがありますから、地球から人類を駆逐しつくまでズッ友を続けるかもしれません。
 しかし女同士の友情は儚いものですから、二人してアメリカのゴーストバスターのひとりに恋をして、結果大乱闘の末に分裂することもあるかもしれませんね。
 個人的に気になるのは、俊雄がさだかや子についていくのかというところでもあります。親権も気になります。



 私は前述した殴り合いシーンがあっただけで☆5つは硬いなという感想なのですが、同行者はまったく納得していませんでした。
個人的には、突き抜けていて気持ちのいいホラーだと思います。これまでの呪怨、リングの中で、死ぬタイミングや順番が出来レースだったりいきなりお母さんの足がなくなったり、そういう類の理不尽は「こういう世界観だから!」で押し通すべき土壌が出来上がっていますので、そういった細々した不条理を許せない場合は厳しいかもしれませんね。けれど勢いで押し通したいっそすがすがしいほどの人間の敗北、私は好きです。



映画+本

残穢とオデッセイを観てきた!


残穢は前の記事で書いたから置いておいて、オデッセイすごかったなあ。月曜の昼という時間帯にも関わらず2D字幕が満席。あんな劇場入ったの久々だったなあ
こういう真っ当なジャンルの映画には造詣がないので小学生男子みてえな感想しか言えないんですけど、アメリカンドリームをこねて丸めたものを「オラーー!!食えーーー!!!!」ってグリグリ口から突っ込まれてるような強さを感じました。なんていったらいいの?かっこいいよね!宇宙!強いし早い!クルーの覚悟に燃える!最高だと思いました!ルイス最強!(熱い小並感)


自分ってこういう映画が見れるんだな…と気付くと同時に、やっぱマッドマックス見ておくべきだったよ……と同時に襲い来る後悔



以下ホモ


あ~~~また衝動買いしてしまいました『英国メイドの世界』。
英国貴族と執事ものが書いてみたかったのでもう……なんだ……自由時間があるうちに……散財だ……ホモ書きたいホモ……身分差と同性と友情とホモ……